わたしは一九五〇年に福井県坂井郡の農村に生を受け、村立の浜四郷小学校に入学した。半世紀以上前の話である。週二時間音楽の授業があった。音楽室に入ると壁にずらりと写真が飾られていた。バッハ、ヘンデル、ベートーヴェン、ブラームスなどの肖像画である。音楽の授業のことはほとんど何も覚えていないけれども、このいかめしい白黒の肖像画のことは今でもはっきり覚えている。いずれも偉大な作曲家なのであろう
雪纖瘦。その中にショパンもいた。私はショパンという文字を見て、「しょっぱい」と「食パン」という言葉を連想した。今でもこの連想は消えない。小学生のわたしは一生ショパンとは縁がないだろうなと思っていた。
十一月中旬の午後、庭で熟したゆずを五十個ほど収穫した。これを持ってピアノレッスンをうけるため先生の家を訪ねた。門の前に広がる横浜市民ふれあいの森は綺麗に紅葉している。ゆずを差し上げた。先生は紅茶をいれてくださった
雪纖瘦。
「そろそろ新しい曲を練習したいのですが、何か適当なものはありませんか」
「そうですね。ブルクミュラーを何曲かやりましたから、ショパンのプレリュード第四番はいかがですか。比較的やさしい曲です」
先生は楽譜を広げスタインウェイピアノで演奏してくれた。二十畳ほどのレッスン室には二台の大きなグランドピアノが並んでおり、私はスタインウェイの左横のヤマハピアノの椅子に座って拝聴した。ラルゴのゆるやかな曲である
雪纖瘦。右手はメロディを伸びやかに歌っている。左手は三和音を奏で続ける。この和音は始終変化し、高貴で荘厳な雰囲気を創っている。こんな曲が弾けたらいいなと思った。
「やってみたいと思います。よろしくお願いします」
「この曲は初級、中級を通り越して上級レベルです。来年の発表会をめざして頑張ってください」
楽譜をレッスン室のプリンターでコピーして貰い、早速レッスンが始まった。ピアノでは親指を1、人差し指を2、中指を3というふうに番号を割り振っている。レッスンを受けながら楽譜に指番号を書き込んだ。
家に帰ってヤマハのアップライトピアノに向かった。まさかショパンの曲を弾くなんて今朝まで夢にも思わなかった。これまでショパンのエチュード(練習曲集)やピアノ協奏曲などいろいろな曲をきいて、大変難しい曲だとの印象を受けていたのである。まず、右手のメロディから練習を開始する。ゆるやかなテンポだし、複雑な所はないので、これなら何とかなりそうだ。
しばらくメロディの練習をした後で、左手の和音パートの練習にとりかかった。最初はソ、シ、ミの和音である。薬指(4)、人差し指(2)、親指(1)で弾いてみると快く、上品な響きである。胸にズーンと入ってくる。この後、ファ、ラ、ミの和音になり、次にファ、ラ、半音下のミの和音と少しずつ音が下がっていく。
(難しいな)
一つひとつの三和音は何とか弾けるが、ひとつの和音から次の和音に移動するときが難しいのだ。瞬時に正確に移動しなければならない。しかも全曲にわたって複雑な和音が続いていく。
(こんな微妙で複雑な指遣いができるようになるのだろうか)
五線紙に所狭しと書き込まれた音符の行列を見ながら不安な気持ちで練習を終えた。
翌日もピアノに向かった。メロディは少しなじんできた。次に和音を弾いてみる。指がうまく動かない。半音下がったり、半音上がったり、元に戻ったり。訳が分からなくなってきた。
(やはりショパンだ。初心者がそう簡単に弾けるわけがない)
途方に暮れながら砂をかむような練習だった。
そんな日が二週間ほど続いたある日、インターネットのユーチューブでプレリュード第四番を聞いてみた。きいている内に、この曲はゆっくり弾けばいいということに気が付いた。
(あせることはない。テンポを落として丁寧に弾いてみよう)
すると、何度やっても弾けなかった和音の幾つかで、三本の指がちゃんと鍵盤を掴み和音が響くようになってきた。きっかけが掴めると上達は早い。毎日、一小節くらいのペースで和音が弾けるようになっていった。ピアノの前で楽しい時間を過ごせるようになった。
残り三分の一となったとき、目を疑いたくなるような音符に遭遇した。左手の親指でシを、小指で一オクターブ低いシを同時に弾き、その直後に右に二オクターブほど飛んでラ、ド、ファ、ラの四音を同時に弾かねばならない。左手は鍵盤の数にして十三個、距離にして三十センチ飛ぶことになる。そして四本の指を一杯に広げて鍵盤に着地する。
(三十センチ空を飛んで四つの鍵盤を正確に捉えて着地する。これは音楽性うんぬんではなく、運動神経の問題だ。フィギュアの四回転ジャンプのようなものだ。ピアノは半分は体操競技だ)
予想通りまったく歯が立たなかった。さすがにピアノの前に座る気にならなかった。
数日後なんとか気を取り直して練習を再開した。左手のジャンプはどうにもならない。シ、シを弾いた後、ラ、ド、ファ、ラを弾くまでに一秒以上かかってしまう。自分の才能のなさを思い知らされた。五十六でピアノを始めるということはやはり無謀なことだったのだ。最早これまでか。なんともむなしい気持ちになった。
右肘が痛いのでテニスができない。テニスに逃避できないので愚直にピアノ練習を続けていた。そんなある日、四音を狙って着地するのではなく、親指のラ音だけを狙ってみたらどうかと考えた。この部分の楽譜は覚えているので、鍵盤を目で見ながら動作できる。すると、一秒かかっていた移動が〇・二秒ほどでできる。
(何事も練習法というものがあるのだ)
三日ほど練習するともっと素早く移動できるようになった。左手を眺めると人差し指が自然にドの位置近くにあるではないか。そこで今度はラとドの二音で着地する練習に移った。ここまでくれば四音で着地するのも時間の問題だった。
半世紀前、まったく無縁の存在に思えたショパンの曲をマスターする目途が立った。それからはピアノを前に至福の練習時間を過ごしている。心をゆさぶる和音の行進に右手が切々と悲しい心情を歌い上げる。左手で奏でる三つの音に乗って右手の音が歌い、四音がこころよく和合する。
ピアノを練習していると、音楽のすばらしさと同時に、日々わずかずつ成長していることを実感する喜びがある。一年前絶対弾けなかった和音が弾けるようになっている。先週不正確だった付点八分音符が正確になった。ピアノを始めた八年前と比べればさまざまな点で雲泥の差がある。成長するということは腕の筋肉の発達と共に、眠っていた脳細胞が目覚め活動を開始するということなのだろう。何事に限らず、「成長感」をもてるとき、大きな幸福感に満たされる。
ピアノと共に脳細胞の目覚ましと鍛錬を続け、人生最期の日まで鍵盤に触れていたい。強く願えば叶えられる。そう信じている。